世界柔術選手権を終えて約一ヶ月経ちますが、BJJPLUSでは日本人初の黒帯で優勝した八木沼志保選手(ネクサセンス)のインタビューを行いました。八木沼選手の経歴、女子柔術家としての歩み、世界柔術選手権優勝までのお話しを3回に別けてお伝えします!
――もう何度も言われているでしょうが、改めて世界柔術優勝おめでどうございます。
八木沼 有難うございます。私個人としてはサンボ、柔術を長く続けたご褒美として受け取っています。大き過ぎるプレゼントのような気もしますが(笑)。
――国内の反響は凄かったです。
八木沼 大勢の方が喜んで頂けたのが、一番嬉しかったです。Facebookでも顔は知っているけども話したこと無い女性がメッセージくれたり。JBJJFの全日本選手権でも表彰して頂けて、ちょっと恐縮です。中井先生には本当にお世話になっていて、ジムの国際ID登録が間に合わった時に、私は一時的パラエストラ東京所属にしてもらったり、黒帯も中井先生にサイン頂き、本当に感謝しています。
――そもそも八木沼選手はサンボの選手ですが、スポーツ歴、格闘技歴を教えてください。
八木沼 中高は陸上をやっていて、全く格闘技経験がなくサンボを始めたのは29歳の頃。単純に「体を動かしたい」と思っていて兄と話していたら、当時流行っていたPRIDEを兄が見ていて、ヒョードルがものすごく強かったので適当に「サンボでもやれば?」と促されて(笑)。調べたらアンプラグド国分寺の前進道場『鈴木道場』が近くにあったので、やってみようかな、と。
――いきなり格闘技、しかも女子が少ないサンボは怖くなかったですか?
八木沼 柔道のように制約が多い競技なら途中で止めていたかもしれませんが、サンボは講師の田中康弘先生の技が凄く面白かったんです。スグにサンボに魅了されて、週2回のクラスは欠かさず練習に行き、田中先生の専門学校の練習会にも混ぜたもらってましたね、暇だったんで(笑)。男性ばかりの練習に混ざるのも、最初は無我夢中だったからあまり気にならず。当時は自分もまだ下手で本気でスパーリングするしかできなかったから、男性の方が良かったんです。男性相手に練習するのもいつしか普通と感じてしまった。それしか見てないから、それが普通。今は命知らずだったな、とは思いますけど(笑)。
――サンボの試合出場はいつ頃から?
八木沼 一年経った頃でしたね。ただ私の階級にはなかなか相手に恵まれず、サンボ連盟側が“参考試合”としてフジメグさん(藤井惠)に頼んでくれた事もありました。
――格闘技歴1年少しで世界のフジメグですか(笑)
八木沼 試合は簡単に一本、こちらが正座状態から強引に膝十字もらいましたね。後から聞いたら、「八木沼は素人だから手加減してくれ」と頼まれていたそうです(笑)。
――その後は全日本サンボ選手権を連覇しています。
八木沼 同階級不在で不戦勝か、重たい階級との参考試合ばかりで。それで柔術にも出てみようかな、という感じでしたね。
第2回に続きます。